今日もなんとなく中国語を眺めて、なんとなくわかりましょう。
今日は、中国経済の行方にかかわるお話です。なんですが、これって日本のニュースでもやってました?
北京の朝刊紙「新京報」のサイトの記事です。
今日の見出し
キーワードは2つです。
「熬」 「户口」
中国についてのニュースでよく扱われる問題です。
「熬」
「堪え忍ぶ」「辛抱する」という意味です。
「户口」
「戸籍」という意味です。
では、見出しの中身を見てみましょう。
「深圳患癌保安:熬到户口下来」
「癌を患った深圳の警備員 戸籍が得られるまで堪える」
「保安」は「警備員」です。
最近、中国で話題になっている「戸籍」に関するお話です。
話題になっているのは、河南省生まれの39歳の出稼ぎ男性、呉さんのお話です。12年前に深圳に出てきて、靴工場の労働者、買い付け、警備員など職を変えながら働いてきました。
河南省生まれの呉さんは、深圳で暮らしてはいるものの、深圳の戸籍を持っていませんでした。日本では居住地を変えるには住民票を移せばいいですが、中国の「戸籍」というのは動かすことが非常に難しく、戸籍がない土地では社会保障を受けたり、子供を学校に行かせたり、都市によっては住宅や自動車の購入といったことまで、市民としての権利を享受することができません。
しかし呉さんは長年深圳で働いて来たうえに、2012年には「深圳優秀警備員」となり、深圳に戸籍を移す権利を得ました。そして、2013年6月に深圳戸籍となったのです。
ところが、その少し前の2012年末、呉さんは末期の肺癌だという診断を受けました。それまでに貯めたお金も、治療費に消えて行きました。呉さんによれば、もっとはやく深圳戸籍がとれていれば健康保険を使えたため、治療費の出費は大きく節約できたはずだったといいます。深圳戸籍の有無は、呉さんにとってそれほど大きなものでした。
さて、診断当時、医師からは「あと3~6か月の命」だと宣告されたそうです。呉さんはそれを大きく超えて、2015年になったいまも生き続けていますが、それには理由があります。
呉さん自身は深圳戸籍を手に入れました。それに伴って、幼い息子の戸籍も間もなく深圳に移すことができました。しかし、妻の戸籍を移すのはそう簡単ではないのです。
深圳では、深圳戸籍取得者の配偶者は、それから2年を経過すれば取得が可能でした。去年の4月までは! 呉さんは、妻の戸籍が取れる2015年6月までは死ねないと思ってきたといいます。それが急に、2016年6月に延びたのです。2016年6月に妻の戸籍が移せるまでなんとか生きていなければ、家族の戸籍はバラバラになってしまいます。
もちろんこれまで通り、深圳で暮らしていくことはできるかもしれません。しかし、戸籍がなければ、政府の方針が変わったり経済状況が変わったりするたびに右往左往することになります。
呉さんのケースはこのところ、中国のメディアで取り上げられていますが、おそらく似たようなケースは少なくなく、政府も簡単に特例を認めるという風には動きづらいようです。かなり状態が悪くなってきている呉さんの望みがかなうように、……そしてできれば奥さんの戸籍が取れてもまだ生きていられるように祈るばかりです。
ところで、日本では住民票の移動の自由はありますが、日本で生まれ、日本語をネイティブとして育った子供たちが国籍や在留資格の問題ゆえに日本で暮らし続けられない、なんて問題も起こっています。いくらかスケールが違う話ではありますが、どちらにもやりきれない思いを感じるのでした。