今日もなんとなく中国語を眺めて、なんとなくわかりましょう。
今日は、中国ではなくお隣の北朝鮮のお話です。
ニュースポータルサイト「網易」の記事です。
今日の見出し
キーワードは2つです。
「允许」 「供佛」
なにが話題になっているかはなんとなくわかりますよね。
「允许」(允許)
「許す」「許可する」という意味です。
「供佛」
「仏を祭る」「仏に備える」という意味です。
簡体字と日本語の漢字を見比べてみましょう。
「鲜」 「鮮」
「开」 「開」
「许」 「許」
「众」 「衆」
「观」 「観」
「庙」 「廟」
「进」 「進」
「动」 「動」
では、見出しの中身を見ていきましょう。
「朝鲜开始允许一般民众参观寺庙 进行供佛活动」
「北朝鮮で一般民衆に寺院参観の許可を開始 仏を祭る」
「朝鲜」(朝鮮)は「北朝鮮」の意味です。
「寺庙」(寺廟)は「寺院」「寺社」の意味。
「进行」(進行)は「行う」という意味。
元来、共産主義というのは宗教の存在を許さない体制です。中国では革命真っ最中のころ、さまざまな宗教施設や遺跡が破壊されたりしました。最近は随分事情が変わっていますけれども。
一方で、同じ共産国である北朝鮮では、これまでずっと宗教活動を完全に禁止してきました。ところが、最近になってその姿勢に変化が現れたというのです。
寺院や寺社の文化的財産を保護するため、遺跡の補修予算を確保するために、民衆が寺院を訪れたり、仏を祭ったりお供えをしたりすることを許可することになった、というのです。
北朝鮮から中国に最近来た人に取材したようですが、その人によれば寺院で仏を祭ることができるのは、寺院に寄付ができる人だけ。お金を出せない人は、寺院を訪問することはできるけれど、すぐ帰らなくちゃいけないのだとか。
そんな中、平壌の地位の高い幹部やその家族は相当な額を寄付しているんだそうで、平壌近郊の有名な寺院、龍岳山法雲庵などではしばしばえらい人の姿がみられるそうです。
ある人によれば、法雲庵を訪れる人のお賽銭は一般には500北朝鮮ウォン(約375円)なのだけれども、幹部やその家族だと10倍の5000北朝鮮ウォンだったりするそうです。もちろん、たくさんお金を出した人がお経をあげてもらえたりするのに対して、お賽銭が少ない場合は自分で勝手にお参りをして帰るしかない……不公平じゃないかと記事は言っています。
いや、日本でももちろんお金たくさん出したほうがいろいろやってもらえるし、お札だのお守りだの、お金さえだせば何でも手に入るんですどね。そこをおかしいと思う感覚だけは共産主義的なのでしょうか?
中国にしろ、北朝鮮にしろ、とっくの昔にどこにも平等なんてないんでしょうが……。