今日もなんとなく中国語を眺めて、なんとなくわかりましょう。
今日は、中国経済の行方にかかわるお話です。なんですが、これって日本のニュースでもやってました?
香港の新聞「りんご日報(アップルデイリー)」のニュースサイトの記事です。
今日の見出し
キーワードは2つです。
「起來」 「做」
どちらかというと会話で使うことが多い言葉かもしれません。
「起來」(起来)
「立ち上がる」「起きる」という意味です。
「做」
「する」という意味です。
今日は香港のメディアなので漢字はすべて繁体字です。簡体字で書いた場合と、日本語で書いた場合と比べてみましょう。
「起來!不願做奴隸的人們!」
「起来!不愿做奴隶的人们!」
「起来!不願做奴隷的人們!」
では、見出しの中身を見てみましょう。
「起來!不願做奴隸的人們!」
「立ち上がれ!奴隷になりたくない人々よ!」
「不願」は「願わない」「望まない」「~したくない」。
「們」は人称名詞の後について「~たち」と複数形を作る言葉です。「我」の後について「我們」では「私たち」という意味になります。
さて、見出しをご覧になっただけでもうすでにぴんと来ている方もいらっしゃるかもしれません。
今日取り上げた「りんご日報」はどちらかというと急進的なメディアで、主に香港・台湾で活動していますが、中国本土の体制に対しては常に批判的なことで有名です。この記事は、そのりんご日報が現在の香港を覆っている終わりの見えない「雨傘運動」について報じたものです。
歴代のトップなどが集まって北京で開かれた建国記念式典。
歴代のトップなどが集まって北京で開かれた建国記念式典。
中国政府が現在、香港統治でとっているやり方に強く反発する運動に関して、この見出しで伝えているこの記事は、もうそれだけで最大級の皮肉をきかせていると言っていいでしょう。なぜなら、今日のこの見出しの一節は、中華人民共和国の現在の国歌の冒頭部分の歌詞だからです。
ちなみに現在の中国の国歌は「義勇軍行進曲」というタイトル。抗日戦争時代の映画「風雲児女」の主題歌だったもので、戦中から多くの人にうたわれていたものが、中華人民共和国の成立とともに国歌に制定されたのです。なにせ抗日映画の主題歌なので、歌詞の中には「敵」なんて言葉が登場しるので(まあ抗日映画の敵といえば日本であり日本兵なわけですが)、国歌にすることが決まってからは歌詞を変更しようかなどといろいろ迷ったという話も聞きます。結局、みんなが知っているままの形で国歌になりました(文革の時代など歌詞が変わった時代もあったようです)。
そういう経緯のある国歌なので、まあ日本人の中には嫌悪感をあらわにする人もいるようで、まあそういう人がいても仕方のないことかもしれないと思います。ただ、どういう経緯の曲であれ、いい曲なんですよね。行進曲ですから勢いがあるし、覚えやすく、歌いやすい。作曲をした聶耳という人の才能を感じます。その聶耳は、この曲を作った直後に取り締まりを逃れて日本へ渡り、その時に海水浴に訪れた藤沢の海岸で溺死して亡くなっていて、日本とはなんとも奇妙な縁を持っているのですが……。
と、話がずいぶんそれてしまいましたが、その現在の中国の国歌。もともと香港の人たちは知らなかったものなわけで、1997年の返還以降、中国側はいろんな形で国歌を普及させようとしました。中国への帰属感を持ってもらうためにも、国歌を覚えてもらうことが重要なものだと考えるは、ある意味当然といえば当然でしょう。
しかしまあ、香港では返還が決まった1984年以降、97年までの間に香港の人々は共産主義国中国に取り込まれることを恐れてパニックに陥ったり、いやそう悪い人たちじゃない、分かり合えないことはないと心を開いたり、そういう葛藤を繰り返しました。そしてそれは97年以降から現在に至る間は、今度は生身の「中国人」あるいは「大陸人」と接触しながら、以前とは違う形で葛藤し続けているのです。
そうした中で起こった今回の出来事。中国の束縛がより少ない、より民主的な選挙を求める市民の運動について伝える記事に、中国の国歌のフレーズが使われるのを中国側の要人たちが見たら、どんな感想を持つのでしょうか。